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中学校に上がるまで、漫画家になりたいという夢はあったけれど、いまひとつ、何に対しても自信を持てなかった僕。
運動音痴で、外で遊ぶのも億劫な子で、小学校卒業する頃は、結構ブクブクと太っていました。
ぼんやりと、「痩せたいな・・」なんて思って、じゃあ運動部に入ろうと思った時に、選択肢として目の前に現れたのが「バスケットボール部」でした。
当時は、『スラムダンク』も連載が始まったばっかりの頃で、なんとなくかっこいいイメージがあったので、入部しました。
最初は全く本気でやっていなくて、だって、運動音痴なんだから、何をやったって上手くいかないから、ちょっとやっただけで上手くやれる友達とかを見て、「なんだよ」なんて拗ねてました。
2つ上の先輩でスリーポイントシュートが得意なかっこいい先輩がいて、しかもかわいい彼女がいて、「あんな先輩みたくかっこよくなって、楽しそうな中学生活を送ってみたいな」と、憧れを抱いていました。
夏に先輩も部活を引退し、9月に迎える1年生だけの新人大会に向けた練習試合がありました。
そこで、当たり前といえば当たり前なんですが、僕は選手に選ばれませんでした。
スタメンどころか、ユニフォームももらえず、試合にも出られませんでした。
なんか、異様に悔しくて悔しくて。
運動音痴の自分が、スポーツの分野であんなにも悔しい気持ちになったのは初めてでした。
練習試合の終わったその日から、自分の中で何かが変わり始めました。
「憧れを抱いてるだけじゃ先輩みたいになれるわけがない」
”努力”というか、目標に向かって必死になって打ち込んでみるということを(特にスポーツの分野で)意識的にしたことがなかった自分が、親に頼んで、まずはバスケットボールを買ってもらいました。
ドリブル練習、壁に向かってパス練習、ゴールは無かったから空中に向かってシュート練習。
お風呂に入るときは、お湯の中で手首を動かしてシュート時のスナップを効かせるトレーニングをしたり、
寝るときもボールを抱いて、少しでもボールの感触を手に馴染ませようとしたり。
部活で一生懸命練習するのはもちろんのこと、家に帰ってからも練習を重ね、寝るギリギリの時間までずっとバスケットのことを考えていました。
ちょうどそんな時に出会った1本の映画がありました。
BSで放送された、『バスケットボーイ』という映画。
ピート・マラビッチというシュートの弾道がピストルのようにまっすぐ飛んでいき、リングを確実に射抜くという選手の70年代に活躍したNBA選手の伝記映画でした。
ピート少年は、まさに、どこに行くにもボールを持って出かけて、寝るときも、「コントロール、バックスピン、フォロースルー」と3つの基本となる言葉を呪文のように唱えながら延々とボールを天井に向かって打ち続けるという少年だったんです。
大人や周りの上手な選手たちにバカにされながらも、ただひたすらバスケットが上手くなれるように練習をする姿に、その時の自分の心境と重ね合わせて、涙しました。
「もっと、もっと練習しなきゃ」
と、さらにバスケットボールにのめり込んでいきました。
すると、運動音痴で何もできなかったはずの僕が、少しずつ、他の同級生よりもドリブルがスムーズになってきたり、シュートの成功率も高くなってきたんです。
努力は裏切らない。
シンプルだけど、そんなことを改めて感じたんです。
「もっと、もっと上手くなりたい」
今度は、親に庭にゴールを買ってくれないかと頼みました。
ただ買ってもらうなんて虫が良すぎると思ったんで、勉強も頑張るという条件をつけました。
それまで学年で250位くらいの成績で、下から数えた方が早いくらいだったんですが、学年で50位に入ったら買ってくれとお願いしました。
毎日シュート練習がしたいという一心で、猛烈に勉強し、結果、「64位(くらいだったと思う)」でした。
条件は50位以内だったけれど、250位からの64位の急上昇だったので、親も非常に喜んでくれて、念願のゴールを買ってもらえることに!
その頃、『スラムダンク』が湘南vs海南戦だったんですが、海南の神宗一郎というスリーポイントの達人が、毎日シュートを500本打っているからこそシュートが上手なんだというエピソードを読んで、やりましたよね、毎日500本。
それだけシュート練習していると、入るようになってくるんです。
今度は、500本打つだけじゃなく、500本入るまでと、どんどん練習時間は伸びていきました。
「もっと、もっとシュートを打ちたい!」
この頃になると、練習しなきゃとか、上手くなりたいとか、そういう域を超えて、ただただバスケットをやっていたいって気持ちに変わっていましたね。
バスケをやっている時が、特にシュート練習している時が、一番幸せでした。
今でもふと思うもの、あの頃に戻れたらなって。
それくらい、バスケットだけに全てを捧げられてる毎日が楽しくて仕方なかったです。
2年生になる頃には、スタメンのユニフォームをもらえるようになりました。
今でもはっきり覚えてる「7番」のユニフォーム、嬉しかった。。。
バスケットを通じて、努力することで結果が生まれることを教えてもらい、今度はそれが自信になることも教わりました。
勉強もその後、「勉強の仕方」がわかるようになり、成績も上がっていきました。
いつかは本場アメリカでバスケがしたい、留学したいという新たな目標も生まれました。
ご存知の方も多いですが、留学したことで、今でも大好きな地、オレゴン州と出会い、そして、そこで「ラジオ」と出会い、それが今の仕事となっている。
僕の今の人生、全て、全てのきっかけをくれたのが、バスケットボールなんです。
だから、『Grape Park Court (グレープパークコート)』は、僕のバスケへの恩返しなんです。
『グレープパークコート』で、楽しそうにプレーする子供たちの姿を応援したいです。
これからの人生をかけて、バスケットボールへ少しずつ、丁寧に、恩返しをしていきたいと思います。
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