「黒人」としてのメッセージ、スパイク・リー監督の最新作『ブラック・クランズマン』を観た

スポンサーリンク

実話をもとに描かれた『ブラック・クランズマン』

  実際にあった話をベースとしてるって聞いて、「本当かよ!?」と疑いたくなるるほど!”クリエイティビティ”が刑事事件の捜査にも発揮されたケース。「白人至上主義」を掲げる「KKK」という団体に、黒人刑事が潜入捜査するというもの!絶対に結びつくはずの無い発想!もはや、どうやって!?って思うじゃないですか。電話で団体にアプローチして、自分は「黒人が大嫌いだ」と嘘をつき(というか、嘘とはいえ、よくここまで言えるなってレベルw)、同僚の白人刑事を実際の団体の集会所に送り込む。団体側も簡単に受け入れるわけなく、中には何度もテスト的にどれだけ黒人や他の有色人種たちのことが嫌いかを試してくる輩もいて。潜入捜査ってのがバレやしないかっていうハラハラドキドキがずっとあります。スリリングでちょっとインテリな刑事ものとしての楽しさがある映画です。

  しかし、そこをただのエンタメにしないのが、監督のスパイク・リー。今までも、『ドゥ・ザ・ライト・シング』や『ゲット・オン・ザ・バス』など、基本はエンタメ作品としてしっかり成立する作品の中に、監督自身が考える「黒人とは」というメッセージはもちろんのこと、一括りではまとめられない「人種」の問題を様々な意見で構成するという見事なまでの作品を作り続けてきている監督です。今回の映画でも、登場人物の台詞として、「マイノリティとしてアメリカで生きる」ってことについて大いに語られています。今まで、スパイク・リー監督作品はほとんど観てきたけど、『ゲットオンザバス』が一番「黒人として」のメッセージの主張が強いなって思ってたけど、『ブラック・クランズマン』は、うん、あの映画を超えるメッセージ性でしたね。

ずっと胸に突き刺さる映画の最後、スパイク・リー監督からのトランプ政権へ対するメッセージ!(ネタバレはなし!)

  主人公の黒人刑事が恋をすることになる女の子が、黒人の権利を過激に主張する団体のリーダーというのもあって、この団体と「KKK」の対比を終始描くことで、お互いが「正義」だと思ってることがずっとぶつかり合う構造になってます。これは、ツイッター見ててもよく起こる現象だけど、「ポジショントーク」の応酬なんですよね、どこまでいっても。自分が置いてる軸足がぶれない以上、絶対にお互いの領域にまで踏み込んで考えることはまず、無い。想像力の欠如と一言で言ってしまうとそうなるんだけど、絶対に想像し得ない状況をお互いがお互いで作り出してしまってるわけです。

僕もアメリカ留学時代、いわゆる”人種差別”を経験し、自分のアイデンティティーを模索する意味も兼ねて、「Ethnic Studies」という大学でも新設されたばかりの人種問題をテーマとした学部を自分の専攻にしました。毎度授業では、ディスカッションがメインとなるんですが、やはりどこまで行っても、自分の置かれている環境から一歩踏み出そうとしない限りは、理解どころか想像すら難しいことってたくさんあるなって思いました。まだ人種問題をテーマとした授業を受けにくるくらいだから、歩み寄りを感じる学生に対してでも思うってことは、いわんや、過激団体に属していたら・・です。

  『ブラッククランズマン』、この映画の舞台となる時代は1979年。なのに、僕がアメリカにいた90年代後半~00年代前半、そして、今のアメリカでもずっと続いてる人種差別と偏見の問題。スパイク・リー監督も80年代から一貫して描き続ける問題。「もういい加減にしろ!」と、言わんばかりの映画の最後の映像がずっと胸に突き刺さります。と同時に、トランプ大統領への強烈なメッセージでもあるなと感じました。

  『ブラック・クランズマン』、愛知での上映館は、新しくなった伏見ミリオン座にて公開中!

  
ちなみに、エンドロールでは、かつてスパイク・リー監督がPVも手がけたプリンスの未発表曲『Mary Don’t You Weep』が使われており、映画の余韻を最後まで引っ張ってくれます。

 

 

スポンサーリンク

Pocket